サッカーの聖地
かなり前の話になるが、今回は旧ウェンブリースタジアムの見学ツアーに行った時の話をしようと思う。
”旧”とつくのは、その後、ウェンブリースタジアムは新しく建て替えられたからだ。新スタジアムは2007年にオープン。
旧ウェンブリースタジアム(以下ウェンブリースタジアム)は、1923年にオープン。2000年に閉鎖するまで数々の名勝負が繰り広げられ、ワールドカップ(1966年)やユーロ(1966年)の決勝の舞台にもなった。
見学ツアー
見学ツアーに行ったのは2000年9月のこと。上記写真はその際のチケットだ。見学ツアーの時間は約1時間。料金は7.95ポンドだった。当時1ポンド200円だったので、約1600円の計算になる。
スタジアム見学で1600円とはかなりの高額だ。だが、当時はあと少しで歴史あるスタジアムが閉鎖されるという事で世界中から人が来ていた。私が参加した回だけでも30人はいたと思う。そのほとんどがヨーロッパからの観光客だった。
スタジアム見学ツアーの主なルートは観客席、及びドレッシングルームだった。スタジアム内では実際に客席からグランドに降りてピッチ間近まで行くことができた。
その時の模様を写真を使ってお伝えする。
スタジアムの外観
こちらがウェンブリースタジアムの外観。ツインタワーがシンボルであった。スタジアムがあるのはロンドン郊外。最寄駅からは出てすぐの場所にあった。
こちらが正面玄関上にあったモニュメント。1966年イングランドワールドカップ出場国の国旗が記されていた。イングランド代表は初の母国開催となったワールドカップで見事優勝。
右下の国旗にも注目。この大会で北朝鮮代表はアジア勢として初めてベスト8進出。この記録は2002年に韓国代表が塗り替えるまでアジア記録だった。
スタジアムの内部
こちらがスタジアム内部の写真。サッカー専用で収容人数は82,000人。
ご存知の方も多いと思うが、ウェンブリースタジアムは限られた試合でしか使用されなかった。代表戦やFAカップ決勝などだ。それが故に自ずとレベルの高い試合が繰り広げられ、サッカーの聖地と呼ばれるようになった。
因みに、ウェンブリースタジアムのピッチにアジアの国で初めて立ったのは日本代表。1995年に行われたアンブロカップで日本代表はここでイングランド代表と対戦した。
当時の日本代表はワールドカップ出場経験もなく格下と評され大差での敗戦も予想されていた。しかし、蓋を開けて見てば敗戦したものの1−2と善戦。この結果は周囲を驚かせた。
見学ツアーでは写真のようにピッチギリギリまで近づくことができた。電光掲示板が時代を感じさせる。
ドレッシングルーム
こちらがドレッシングルームの様子。内部は驚くほど旧式だった。とても2000年代とは思えないほどに。
ドレッシングルームには当時のイングランド代表の主力メンバーのユニフォームが飾られていた。ベッカム、スコールズ、シアラー、オーウェン。この時代のサッカーを見ていた人にとっては懐かしむ名前ばかりだ。
因みにこの年に行われたユーロ2000に出場したイングランド代表は1勝2敗でグループリーグ敗退。ウェンブリー最後の試合となった2002年ワールドカップ最終予選「イングランド代表対ドイツ代表(2000年10月)」でも0−1で敗戦。この敗戦で当時監督を務めていたキーガンは更迭されることになる。
危機感を感じたイングランドはその後、初の外国人監督(スウェーデン人のエリクソン)を招聘し大改革。2002年ワールドカップではベスト8の成績を収めた。
現在のウェンブリー
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こちらが2007年にオープンした新しいウェンブリースタジアム。収容人数は以前よりも増えて90,000人。屋根付きのスタジアムの中では世界最大だ。
新スタジアムの場所は旧ウェンブリーがあったのと同じ場所。
旧スタジアムのシンボルであったツインタワーは無くなったが、新スタジアムではスタジアム上部のアーチがシンボルとなっている。
2018-19シーズンはスタジアム建て替え中のトッテナム・ホットスパーFCがホームスタジアムとして使用している。
個人的には旧ウェンブリースタジアムの方が、より聖地に近い存在だった気がする。日本の国立競技場と言い、歴史ある古いスタジアムが壊されるものは寂しいものだ。しかし、これも一つの時代の流れかもしれない。