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東福岡優勝メンバーの進路【1997・1998】|初の3冠達成 & 52連勝

東福岡

いきなりですが、皆さんは高校サッカー最強チームはどこだと思いますか?

世代や個人の好みによって、複数のチーム名が出てくることでしょう。

しかし、その中の一定数には、ある高校名が出てくるはず。

それは、97年の東福岡

東福岡は、全国高校サッカー第76回大会(1997年)で優勝し、史上初の3冠達成

あの帝京との雪の決勝戦といえば、思い出す人も多いはず。

今回は、その東福岡に関して下記の点を中心にお伝えします。

  • 当時の東福岡の実績
  • 当時の東福岡のメンバー&進路

高校サッカーファン必見です。

最後には、東福岡サッカー部出身で最も有名になった選手も紹介します。

東福岡の実績

前述のように、東福岡は97年に史上初の3冠を達成しました。

その時の東福岡はとにかく強かった。

なんと、その年代のチームは公式戦で一度も負けなかったのです(2引分け含む)

分かりやすく数字でいうと、52連勝しました。

これは不滅の記録と言って良いでしょう。

東福岡高校こちらが97年度のチーム成績一覧表。

対戦相手には、帝京、国見、市船などの強豪校も多く含まれます。

東福岡は、出場する大会全てで優勝しました。

注目すべきはスコア。

7ゴール、5ゴール、無失点の試合が目立ちます。

まさに格の違う超高校級チームだったわけです。

一部のサッカーファンの間では、97年の東福岡は、そのまま育成したらプロでも通用するんではないかと言われたくらいです。

この52連勝という記録は、今後、高校サッカーで破られることはないでしょう。

尚、前の年に比べて戦力が落ちたと言われた次の学年も、98年の全国高校サッカーで優勝し、2連覇を達成しています。

東福岡優勝メンバー

ここで気になるのが、当時の東福岡の優勝メンバー。

下記は、97年に東福岡サッカー部に在籍していた中で、プロへ進んだ選手一覧表(大学経由含む)です。

 

名前 学年 ポジション 進路
手島和希 3 DF 横浜F
本山雅志 3 MF 鹿島
古賀誠史 3 MF 横浜M
金古聖司 2 DF 鹿島
千代反田充 2 DF →筑波大→福岡
宮原裕司 2 MF 名古屋
富永康博 2 GK 名古屋
前田隆 1 DF 福岡
山形恭平 1 FW 広島
奈良崎寛 1 FW →福大→鳥栖

学年は97年のもの。

背景が青色になっている選手は、97年の全国高校サッカーでレギュラーだった選手。

驚くべきことに、97年に東福岡サッカー部に在籍していた中から10人もプロへ進んでいます。

あと一人いたら、チームが一つ作れます。

さらに驚くべきことに、この10人は全員、福岡県出身。

今のように越境入学が多い時代では、信じられないデータです。

しかも、全国高校サッカーで大活躍した本山、宮原、山形に関しては、出身中学(二島中学)まで同じでした。

東福岡優勝メンバーその後

超高校級チームとして注目された東福岡サッカー部員。

その後は、どうなったのでしょうか?

残念ながら、上記に挙げた10人のほとんどは20代で現役引退。

日本代表でプレーしたのは、本山雅志のみ(手島は2003年に選ばれたが、怪我で辞退)。

周囲の期待通りには行きませんでした。

東福岡サッカー部に関しては、その後、コンスタントに全国大会に出場するものの、早期敗退が続きました。

再び、東福岡が全国高校サッカーで頂点に立ったのは、2015年度の第94回大会。

その時は、6試合で14得点0失点という完璧な内容で優勝しました。

尚、東福岡が全国高校サッカーで優勝したのは、97年、98年、15年の3回です。

東福岡サッカー部で最も出世した選手は?

東福岡サッカー部からは、今まで50人近くもの選手をプロへ輩出しています。

その中で、最も評価された選手は誰だか分かりますか?

おそらく、これほど世界的に有名な選手は、すぐには出てこないでしょう。

それは、長友佑都

長友といえば、明治大学サッカー部出身のイメージが強いですが、高校は東福岡でした(長友自身は愛媛出身。東福岡へは越境入学)。

高校時代は、3年次にレギュラーを獲得しましたが、全国的には無名に近い選手。

超高校級で東福岡を卒業した選手のほとんどは、プロでは思うように活躍できず。

それとは逆に、無名のまま大学へ進学した選手が世界的に有名になるとは、人生どこで何が起きるか分からないものです。

以上、東福岡サッカー部にまつわる話でした。