前回の「98年→02年」に続き、今回は02年の初陣から06年ドイツワールドカップへ何人残っか見ていこう。
2002年→2006年
2002年の初陣メンバー
初戦
- 日時: 2002年10月16日
- 対戦国: ジャマイカ代表
- 場所: 国立競技場
- 結果: 1−1(goal→小野伸二)
※「 」が4年後、ワールドカップに選ばれたメンバー
GK
楢崎正剛
曽ヶ端準
DF
秋田豊
松田直樹
名良橋晃
服部年宏
宮本恒靖
田中誠
山田暢久
MF
名波浩
中田浩二
福西崇史
小笠原満男
三都主アレサンドロ
中村俊輔
稲本潤一
中田英寿
小野伸二
FW
中山雅史
柳沢敦
鈴木隆行
高原直泰
2006年ドイツワールドカップのメンバー
GK
土肥洋一
川口能活
楢崎正剛
DF
田中誠(→茂庭照幸)
宮本恒靖
三都主アレサンドロ
中澤佑二
中田浩二
坪井慶介
加地亮
駒野友一
MF
福西崇史
中田英寿
中村俊輔
小笠原満男
稲本潤一
小野伸二
遠藤保仁
FW
柳沢敦
高原直泰
玉田圭司
大黒将志
巻誠一郎
※メンバー発表後、田中誠が負傷離脱。茂庭照幸が追加招集
まとめ
02年→06の場合、初陣から4年後のワールドカップメンバーに残ったメンバーはなんと13人。
生存率は56%ということになる。
驚異的な数字だ。初戦に選ばれたメンバーのうち、半分以上が残ったことになる。MFに関しては、ほぼ初戦と4年後でメンバーは変わらなかった。
それもそのはずだ。この4年間は、ゴールデンエージと呼ばれた年代が成熟してちょうど脂が乗っていたかだ。中盤に関しては世界レベルの選手が多くいた。最終予選においては無敗で、しかも世界最速でワールドカップ出場を決めた。
監督は変わることなく、ジーコが4年続けた。
ドイツワールドカップ前の親善試合では開催国ドイツと2−2で引き分けるなど、それまでのワールドカップにおいて最も前評判が高いチームだった。しかし、残念ながら1分2敗という形でゴールデンエージと呼ばれた世代はグループリーグで散った。
最終戦ブラジル戦の後には中田英寿が29歳という若さで引退を表明。ドイツワールドカップは日本代表にとって大きなターニングポイントとなった。
4年間の主な出来事
- 04年 欧州遠征でネドベドを擁する強豪チェコを1−0で破る
- 04年 アジアカップ(中国)優勝
- 05年 無観客試合(タイで開催)で北朝鮮を破り、ワールドカップ出場決定
- 05年 コンフェデ杯(ドイツ) ロナウジーニョ擁するブラジルと2−2の引き分け