「20年目の旅」の中において、中田英寿は当時の日本代表についても語っていた。そこにあったのは苦悩だった。
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98年ワールドカップとその後
- 98年までは若かったこともあり、自分の好きなようにプレーできた。しかし、その後はチームのバランスを考えてやらなければなかった。それが故に、時として自分のプレーを抑える苦しみがあった。
トルシエとジーコ
- トルシエは全てを型にはめるシステムを導入した(特にDF面)。
- ジーコは考えてやらせるサッカー。
- 型にはまったシステムは、ずっと続ければある程度の結果を出すことができる。しかし、限界がある。その先のレベルに行くには考えるサッカーが必要だった。
- そういう意味でトルシエの後、選ばれたジーコは適任だったと思われる。だが、残念なことに選手がまだそれを実現できるレベルに達していなかった
- ジーコの思い描いていたサッカーは日本代表で一度もできなかったのでは?