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日本代表|10年→14年|メンバーはどのくらい残った?

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この4年間の日本代表は何かと話題になった。10年南アワールドカップでは大会前の予想を覆し、決勝トーナメント進出。

その後、中心選手は世界へと羽ばたき、多くの選手がヨーロッパの主要リーグで日本人選手としてこれまでにない程の実績を残す。

この4年間は、他の4年と比べて特異なものだった。

 

主な代表選手の4年間

主な代表選手の4年間の動きを表にまとめてみた。

川島永嗣 10年、ベルギーへ。12年には強豪リエージュへ移籍
内田篤人 10年、シャルケへ移籍
酒井高徳 11年、シュトゥットガルトへ移籍
本田圭佑 10年、CSKAモスクワへ移籍。14年1月、ACミランへ移籍
長友佑都 10年、チェゼーナへ移籍。11年にはインテル
清武弘嗣 12年、ニュルンベルグへ移籍
岡崎慎司 11年、シュトゥットガルトへ移籍
香川真司 10年、ドルトムントへ移籍。12年にはマンチェスターU
長谷部誠 13年、ヴォルフスブルクからニュルンベルグへ移籍
吉田麻也 10年、VVVフェンロへ移籍。12年にはサウサンプトンへ

特筆すべき存在は、本田、長友、香川だ。これまで日本人選手がヨーロッパのトップリーグで活躍することはあっても、ビッグクラブで活躍する機会はそうなかった。

しかし、この4年間においては上記の黄色い枠で表されているように同時期に日本人選手がビッグクラブでプレーしていたのだ。

日本がワールドカップに初出場した98年に選ばれたメンバーの中には海外組が一人もいなかった。それが、わずか10年ちょっとでここまで変わったのだ。

当然、サポーターの日本代表に対する期待は今まで以上のものだった。ワールドカップ後に日本代表監督に就任したザッケローニはうまく選手の個性を引き出した。
2018年10月8日に初戦を勝利で飾ったザックジャパンは、11年11月15日にアウェーで北朝鮮に負けるまで17戦無敗だったのだ。否が応でも代表への期待が過剰に高まった4年間だった。

2010年→2014年

10年の初陣メンバー

初戦

  • 日時: 2010年9月4日 
  • 対戦国: パラグアイ代表
  • 場所: 横浜国際陸上競技場
  • 結果: 1−0(Goal→岡崎)

※新監督が決まっておらず、原博実が監督代行を務める。今回はワールドカップ直後の初戦ということに比重を置いて分析していく。

※「  」が4年後、ワールドカップに選ばれたメンバー

GK
楢崎正剛
川島永嗣

DF
中澤佑二
田中マルクス闘莉王(→永田充)
駒野友一
岩政大樹
栗原勇蔵
長友佑都
槙野智章
内田篤人

MF
橋本英郎
遠藤保仁
中村憲剛
松井大輔
今野泰幸
長谷部誠
藤本淳吾
細貝萌
本田圭佑
乾貴士
香川真司

FW
岡崎慎司
森本貴幸

※闘莉王が負傷のため辞退。永田充を追加招集
※長谷部が負傷のため途中離脱

2014年ワールドカップメンバー

GK
川島 永嗣
西川 周作
権田 修一

DF
今野 泰幸
伊野波 雅彦
長友 佑都
森重 真人
内田 篤人
吉田 麻也
酒井 宏樹
酒井 高徳

MF
遠藤 保仁
長谷部 誠
青山 敏弘
山口 蛍

FW
大久保 嘉人
岡崎 慎司
本田 圭佑
香川 真司
清武 弘嗣
柿谷 曜一朗
齋藤 学
大迫 勇也

まとめ

10年→14年の場合、初陣から4年後のワールドカップメンバーに残ったメンバーは9人

生存率は39%だった。

前述の通り、この4年間の日本代表の実績、周囲の期待は今までにないほどだった。

10年ワールドカップで決勝トーナメント進出を果たすと、その勢いのまま日本代表はどんどん強くなった。そして、主力選手は海外のビッグクラブで普通にプレーする時代へと突入したのだ。

12年ロンドンオリンピックでは、U-23は準決勝まで進出した。

日本代表は強豪国相手に物怖じしないどころか、勝利を挙げる試合が続く。それは、今まで日本サポーターが体験したことのない感覚だった。

更にサポーターを舞い上がらせることになったのが、”優勝”の2文字だった。ワールドカップが近づくにつれ、多くの選手が目標を”優勝”と公言し始めたのだ。

冷静に考えると、それまでワールドカップでベスト8以上へ行ったことがないチームが言う言葉でないかもしれない。
しかし、フランス、アルゼンチンを破った日本代表。多くの海外組がいる日本代表。周囲もブラジルワールドカップでは本当にすごいことが起こるのではないかと思い始めた。

だが、大会直前まで安定していたザックジャパンはワールドカップ初戦のコートジボワール戦で逆転負けをすると、1分2敗で大会を後にする。特にグループリーグ3戦目のコロンビア戦は1−4と結果だけでなく内容でも完敗した。

”優勝”するとあれだけ言っていたのに……。

それまでにないほど高かった日本代表への期待感は一気に不信感へと変わる。

大会後、日本サッカー協会は次の監督を決める上でワールドカップでの経験を重視した。それまでクラブでしか指導経験のなかったザッケローニが結果を残せなかったのは、代表での経験不足だと判断したのだ。

ワールドカップで実績のある監督。その時点で空席の者はそういなかった。監督人事は混迷を極める。そして、その監督人事が思わぬ方向へと向かうことになる。

4年間の主な出来事

  • 10年 アルゼンチン代表を1−0で破る
  • 11年 アジアカップ(カタール)優勝
  • 初陣から一年以上17戦無敗(12勝5分)
  • 12年 アウェーでフランス代表を1−0で破る