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中田英寿「20年目の旅」#3|パルマ

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ローマでスクデットを獲得した中田英寿は翌シーズン、パルマへ移籍。その時の移籍金は33億円だった。この額は当時のアジア人選手として最高額だった。

パルマへの移籍

  • 移籍の決め手は自分がやりたいサッカーをしたかったから。
  • ローマに残ればチャンピオンズリーグで戦える機会があった。だが、タイトル獲得や大舞台は二の次だった
  • パルマへの移籍はそれまでと違った。前のシーズン、自分はスクデットを獲っていた。更には高額な移籍金。チームの自分への期待は大きかった。周りの選手が自分に気を使っていたように感じた。
  • それまで通りの背番号「7」を希望したが、パルマからは「10」を提供された。それはチームの自分に対する期待の表れ。だが、本当は「7」が馴染みがあったので良かった。

パルマのチーム状況

  • 当時のパルマは、それまでの主力選手(ブッフォン等)を大量に売ったばかりだった。チーム状況がガラッと変わっていた。
  • ゼロからチームを作らなければいけなかった。
  • 合宿の時点で、チームが完成するまでには時間がかかると感じた。このまま行けば難しいのではと思っていた。
  • そのままシーズン突入。不安は的中。チームは全く機能していなかった。
  • 負ければ、矛先は移籍金33億円の自分に来た。
  • 結局、最初の1シーズンで監督は3回も変わる。その度に方針が変わり、大変だった。

コパ・イタリア制覇

  • チームはあまり機能しなかった。しかし、コパ・イタリアを制覇できたことは本当に嬉しかった。
  • ローマでもタイトル(スクデット)を獲得した。しかし、あの時、自分は交代出場が多くチームの中心選手ではなかった。その為、あまりタイトルを獲ったという気はしなかった。
  • パルマでのコパ・イタリア制覇は自分が中心となって獲得したもの。
  • 感覚的には人生初タイトルという感じだった。