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ローマでスクデットを獲得した中田英寿は翌シーズン、パルマへ移籍。その時の移籍金は33億円だった。この額は当時のアジア人選手として最高額だった。
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パルマへの移籍
- 移籍の決め手は自分がやりたいサッカーをしたかったから。
- ローマに残ればチャンピオンズリーグで戦える機会があった。だが、タイトル獲得や大舞台は二の次だった。
- パルマへの移籍はそれまでと違った。前のシーズン、自分はスクデットを獲っていた。更には高額な移籍金。チームの自分への期待は大きかった。周りの選手が自分に気を使っていたように感じた。
- それまで通りの背番号「7」を希望したが、パルマからは「10」を提供された。それはチームの自分に対する期待の表れ。だが、本当は「7」が馴染みがあったので良かった。
パルマのチーム状況
- 当時のパルマは、それまでの主力選手(ブッフォン等)を大量に売ったばかりだった。チーム状況がガラッと変わっていた。
- ゼロからチームを作らなければいけなかった。
- 合宿の時点で、チームが完成するまでには時間がかかると感じた。このまま行けば難しいのではと思っていた。
- そのままシーズン突入。不安は的中。チームは全く機能していなかった。
- 負ければ、矛先は移籍金33億円の自分に来た。
- 結局、最初の1シーズンで監督は3回も変わる。その度に方針が変わり、大変だった。
コパ・イタリア制覇
- チームはあまり機能しなかった。しかし、コパ・イタリアを制覇できたことは本当に嬉しかった。
- ローマでもタイトル(スクデット)を獲得した。しかし、あの時、自分は交代出場が多くチームの中心選手ではなかった。その為、あまりタイトルを獲ったという気はしなかった。
- パルマでのコパ・イタリア制覇は自分が中心となって獲得したもの。
- 感覚的には人生初タイトルという感じだった。