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サッカー代理人J・メンデスとは?|C・ロナウドやモウリーニョの代理人

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皆さんはサッカー代理人ジョルジュ・メンデスをご存知だろうか?

おそらく、ジョルジュ・メンデスは今、世界で最も大きな取引きをするサッカー代理人と言って良いだろう。

主なクライアントにはクリスティアーノ・ロナウドモウリーニョ監督などビッグネームが揃う。

遅ればせながら、最近、2015年に発売された『サッカー代理人 ジョルジュ・メンデス』を読んだ。

そこには、関係者しか知り得ないサッカー界の裏話が満載だ。

サッカーファン、そしてサッカー関係の仕事に就きたい人にとっては見ておくべき一冊だと思う。

今回は、『サッカー代理人 ジョルジュ・メンデス』を読んで特に印象に残った点を幾つかお伝えしたい。

ジョルジ・メンデスとは?

ジョルジ・メンデスとは一体、どのような人物なのか?

まずは彼が代理人契約する選手一覧を見てもらったほうが早いだろう(以前、契約していた選手も含む)。

  • C・ロナウド
  • ファルカオ
  • ジエゴ・コスタ
  • ハメス・ロドリゲス
  • デコ
  • マニシェ
  • カルバーリョ
  • コスティーニャ
  • カプーショ
  • ポスティガ
  • フェレイラ
  • イラーリオ
  • ティアゴ
  • コエントラン
  • マルケス
  • ぺぺ
  • デ・ヘア
  • モウリーニョ監督
  • ロペテギ監督

スター選手ばかりだ。

このことからここ10年以上の大きな移籍の裏側には、ジョルジ・メンデスの働きがあったことが伺える。

上記の契約選手一覧を見て、感の良い方は「ポルトガル」というワードが浮かぶはずだ。

C・ロナウドを始めとしたポルトガル人、ポルトガルリーグに関わる人物が多いからだ。

それもそのはず、ジョルジ・メンデスはポルトガル人だからだ。

そして、彼がポルトガル人であることは後のポルトガルサッカー界の発展にも大きく関係していく。

クリスティアーノ・ロナウドをあそこまで大きなスター選手にしたことはその一つだ。

その他にもたくさんある。

例えば、ブラジル出身でありながらポルトガル代表としてユーロとワールドカップに出場したデコ

バルセロナやチェルシーでプレーしたことから彼のことを覚えているサッカーファンも多いことだろう。

デコはFCポルトでチャンピオンズリーグ優勝した頃から欧州で名が知れる存在となったわけだが、ジョルジュ・メンデスと会う以前の生活は悲惨だったようだ。

なんと後にポルトガル代表で75試合出場することになるデコは、ポルトガルの下位チームへのローン移籍が続き、全く自分の持ち味を出せていなかったそうだ。

”もうブラジルへ帰ろう”

そう思っていた頃、ジョルジ・メンデスがデコの能力に一早く気づき、FCポルトへの移籍、その先のバルセロナ、チェルシーへの移籍を叶えたそうだ。

代理人とは時としてサッカー選手の人生を変えるもの。

このエピドードを聞くと、まさにその通りだと思ってしまう。

では、次に『サッカー代理人 ジョルジュ・メンデス』で特に印象に残った3つのエピソードをお伝えしたい。

C・ロナウドは18歳の頃、ユベントス移籍に合意していた

これは実に興味深い話だ。

2003年の夏、クリスティアーノ・ロナウドはスポルティング・リスボンからマンチェスター・ユナイテッドへと移籍した。

だが、その前にユベントス移籍で合意していたそうだ。

では、なぜその移籍は消滅したのか?

それは当時ユベントスに在籍していたチリ代表サラスがトレード要員としてリスボンに行くことを拒否したからだそうだ。

もし、サラスがリスボン行きを了承していたら、クリスティアーノ・ロナウドの「マンチェスター・ユナイテッド → レアル・マドリード」という黄金コースはなかったかもしれない。

当時、廃れ気味だったセリエA。

そのことを考えると、サラスが首を縦に振ってくれなかったことは良い方向へ作用したと言って良いだろう。

尚、皆さんもご存知の通り、クリスティアーノ・ロナウドは現在、ユベントスでプレーしている。

この頃からクリスティアーノ・ロナウドとユベントスには当時から縁があったのかもしれない。

モウリーニョがメンデスと代理人契約した理由

FCポルトでチャンピオンズリーグ優勝した当時、モウリーニョ監督のもとには数々の代理人が移籍話を持ってきていたそうだ。

当時のモウリーニョはその中の誰かと代理人契約することもなく、情報交換だけをしていた。

だが、あることがきっかけでジョルジ・メンデスと契約することになる。

その話が実に笑えるものだ。

チェルシーからオファーをもらった時、モウリーニョはチェルシーのオーナーであるアブラモビッチの本気度が知りたかった。

どれだけ彼が自分を必要としているのか確認したかったのだ。

そんなある日、当時まだ代理人契約をしていなかったジョルジ・メンデスは、なんとアブラモビッチ本人をポルトガルまで直接連れてきてモウリーニョと直接ミーティングする場を作ってくれたのだ。

その熱意に負け、モウリーニョはジョルジ・メンデスと代理人契約することになった。

ここからが面白い話。

もちろん、モウリーニョと代理人契約しようと他の代理人も必死だった。

その中の一人は、モウリーニョに電話をかけてきて「今、パリでアブラモビッチと一緒にいる」と言ったそうだ。

笑えることにその電話は、ポルトガルでアブラモビッチと会っている際にかかってきたそうだ。

そういうこともあり、信頼できるの彼しかいないということでジョルジュ・メンデスと契約したそうだ。

ジョルジュ・メンデスの人柄

本の中では、ジョルジュ・メンデスと代理人契約をする選手たちが彼の人柄について語っている。

そこで繰り返し語られるのは”熱意”だ。

”この選手は絶対に通用する”

そう思った選手には、どのような手を使ってでも希望する移籍先の人と会って熱意を伝えるそうだ。

人は感情で動く生き物。

彼のその熱意が、今まで何度も不可能と言われた移籍を可能にしてきた。

そんなジョルジュ・メンデスの熱意が分かる一つのエピソードがある。

それは、当時マンチェスター・ユナイテッドの監督だったファーガソンと初めて会った時の話。

ジョルジュ・メンデスはマンチェスターに行く為、自分の運転する車でポルトガル国内の空港へ向かっていた。

だが、運転中に事故を起こしてしまう。

その時のジョルジュ・メンデスの状態は悲惨なもの。

強打撲で左耳の皮膚は剥け、出血していたそうだ。

当然のごとく救急車が来るものの、ジョルジュ・メンデスは救急車には乗らず、出血したまま飛行機に乗ってマンチェスターまで行ったそうだ。

その日のファーガソン監督との初会合から一年後、大きな移籍が実現する。

それは、クリスティアーノ・ロナウドのマンチェスター・ユナイテッドへの移籍だった。

情熱という意味では、サッカーファンのみならず、ビジネスマンが見ても参考になる書かもしれない。

以上、「サッカー代理人 ジョルジュ・メンデス」を読んで感銘を受けたポイントでした。

興味のある方は、読んで見てください。

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