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中田英寿「20年目の旅」#2|ローマ

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2001年1月、中田英寿のローマへの移籍が決まる。移籍金は13億円。それまでベルマーレ平塚、ペルージャと中堅クラブでプレーしていた彼にとって初のビッグクラブへの移籍となった。

ローマへの移籍

  • ローマは、それまで自分が住んだ街の中で一番大きな都市だった。そのことで生活面でも大きな変化があった(文化面などで)。
  • ローマへ移籍して感じたこと。皆がうまかった。それまで所属したチームでは自分が最もうまかった。それが、ローマだと自分が一番下。そんな経験は初めてだった。
  • 移籍の際、試合に出るのが難しくなるという思いと、こんな素晴らしいチームでできるんだという喜びの葛藤があった

ペルージャとの違い

  • ペルージャに移籍当初は、実績のない謎のアジア人が来たという感じだった。だが、ローマ移籍時は最初から完全に一人の戦力として見られていた。
  • ペルージャ入団直後は練習でもパスが回ってこなかった。だが、ローマ入団後はパスがどんどん回って来た。
  • 当時、まだチームの戦術を理解していなかった分、あまりにも回ってくるパスに逆に戸惑いを感じた。

トッティとの共存

  • 移籍前にカッペロ監督と会って何度も自分の役割について話していた。
  • カッペロは中田とトッティとの共存は可能だと言った。トッティはFWの下の位置。その下のゲームメーカーとしてやってほしいと言われていた。
  • 入団当初、DFの役割をどうすればいいのか不安はあった。
  • トッティとは同じ年ということもあり、色々意識するものはあった。
  • トッティの言葉は方言が強くて、当初聞き取りづらかった記憶がある。

ローマでスクデット

  • ローマが優勝を決めたオリンピコスタジアムはすごかった。たくさんの観客がピッチに降りて来た。
  • チームメイトは優勝を決めた後、ロッカールームでずっと騒いでいた。
  • 騒ぐのが苦手な中田は、一人先に帰った
  • スタジアムの外は大混雑。普通に家に帰れない。そう思った中田は外にいた消防隊員にユニフォームをあげるかわりに家まで消防車で送ってもらった。
  • 消防車はずっとサイレンを鳴らしてくれた。窓の隙間から外を見ると、街中大騒ぎだった。