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日本代表。98年→02年はどのくらい残った?

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2018年9月11日、日本代表はコスタリカ代表と対戦し3−0と完勝した。ロシアワールドカップ後、初の代表戦となった。

4年後のカタールワールドカップの青写真を思い描きながら観た人も多かったのではないだろうか?

ワールドカップ直後の初陣はチームの雰囲気が大きく変わるもの。今回はその一新したチームから4年後のワールドカップまで一体どのくらい残っていたのかを見ていきたい。期間は日本がワールドカップ初出場を果たした1998年から最新の2018年まで。

第一回目は1998年〜2002年を振り返っていく。

1998年→2002年

1998年の初陣メンバー

初戦

  • 日時: 1998年10月28日 
  • 対戦: エジプト代表
  • 場所: 長居陸上競技場
  • 結果: 1−0(Goal→中山)

  が4年後、ワールドカップに選ばれたメンバー

 

GK
岡中勇人
川口能活
楢崎正剛

DF
井原正巳
秋田豊
相馬直樹
斉藤俊秀
中西永輔
田中誠

MF
森島寛晃
名波浩
服部年宏
奥大介
望月重良
平野孝
伊東輝悦
中田英寿

FW
中山雅史
呂比須ワグナー
岡野雅行
城彰二
久保竜彦

2002年日韓ワールドカップのメンバー

GK
川口能活
楢崎正剛
曽ヶ端準

DF
秋田豊
服部年宏
森岡隆三
宮本恒靖
松田直樹
中田浩二

MF
森島寛晃
福西崇史
三都主アレサンドロ
戸田和幸
明神智和
小笠原満男
市川大祐
中田英寿
小野伸二
稲本潤一

FW
中山雅史
西澤明訓
鈴木隆行
柳沢敦

まとめ

98年→02の場合、初陣から4年後のワールドカップに残ったメンバーは7人

生存率は30%ということになる。初陣に召集されたメンバーのうち、3人に1人が4年後も選ばれたことになる。

この4年間の特徴は、ずっと監督がトルシエだったこと。更にはトルシエは代表のみならず、ユースとオリンピックも兼任していた。

ゴールデンエージと呼ばれた年代は、ワールドユースで準優勝、オリンピックで決勝トーナメント進出と結果を残すと、多くのメンバーがそのまま2002年ワールドカップにも選ばれた。

4年間の主な出来事

  • 99年 ワールドユース(ナイジェリア)準優勝
  • 99年 コパアメリカ(パラグアイ)初出場。1分2敗でグループリーグ敗退
  • 00年 オリンピック(シドニー)決勝トーナメント一回戦でアメリカに敗戦
  • 01年 コンフェデ杯(日韓共催)準優勝
  • 02年 ワールドカップ(日韓共催)初の決勝トーナメント進出