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日本代表|06年→10年はどのくらい残った?

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06年ワールドカップ後に日本代表を指揮したのはオシム監督。オシムは直前の3年間はジェフ千葉で指揮。日本のことを既に知っている初の外国人監督となった。

しかし、07年11月にオシムは脳梗塞で倒れる。監督続投が難しくなり、後任は岡田武史となった。

2006年→2010年

06年の初陣メンバー

初戦

  • 日時: 2006年8月9日 
  • 対戦国: トリニダード・トバゴ代表
  • 場所: 国立競技場
  • 結果: 2−0(Goal→三都主が2点)

※「  」が4年後、ワールドカップに選ばれたメンバー

GK
川口能活
山岸範宏

DF
三都主アレサンドロ
坪井慶介
田中マルクス闘莉王
栗原勇蔵
青山直晃
今野 泰幸
駒野友一

MF
鈴木啓太
山瀬功治
小林 大悟
長谷部 誠
中村直志

FW
我那覇 和樹
佐藤 寿人
田中 達也
田中隼磨
坂田大輔

2010年ワールドカップメンバー

GK
川口能活
楢崎正剛
川島永嗣

DF
中澤佑二
田中マルクス闘莉王
駒野友一
岩政大樹
今野泰幸
長友佑都
内田篤人

MF
中村俊輔
稲本潤一
遠藤保仁
中村憲剛
松井大輔
阿部勇樹
長谷部誠
本田圭佑

FW
玉田圭司
大久保嘉人
矢野貴章
岡崎慎司
森本貴幸

 

まとめ

06年→10年の場合、初陣から4年後のワールドカップメンバーに残ったのは5人

生存率は21%ということになる。98年以降で最も少ない数字だ。

だが、この4年間の数字は素直に受け取るわけにはいかない。監督が変わったからだ。選手の選考は監督によって大きく変わるもの。

今回はワールドカップ直後の選考メンバーから4年後のワールドカップメンバーという点に比重を置いてカウントした。

激動の4年間だった。ドイツワールドカップ後に日本代表の絶対的存在だった中田英寿が29歳の若さで引退を表明。初陣はドイツワールドカップメンバーから大きく変わった。その後、07年11月にオシムが倒れ、岡田監督へ。

ターニングポイントとなったのは08年北京オリンピック。決勝トーナメント進出を果たせなかった”谷間の世代”とも言われたメンバーは、その悔しさをバネに急成長していく。

本田はオリンピック後にオランダへ渡り、2年後には中村俊輔からポジションを奪うまでに成長。長友はFC東京で活躍し、日本代表デビューを飾るとそのままワールドカップのメンバー入。

結局、谷間の世代と言われた北京オリンピックメンバーからは5選手(長友、内田、本田、岡崎、森本)も選ばれることになった。

だが、ワールドカップ出場を決めたものの、親善試合で結果が出ない日々が続いた。次第に日本代表は批判の的に立つことになる。南アワールドカップ直前の公式戦では4連敗。この頃になると、日本代表の決勝トーナメント進出を予想する人はごく少数で、大会前から諦めに近い雰囲気さえ漂っていた。

しかし、大会が始まると岡田監督がとった奇策で日本代表は機能し始める。第3GKと思われていた川島をスタメンへ。更には初戦のカメルーン戦では本田を1トップで起用したのだ。
終わってみれば日本代表は2勝1敗で決勝トーナメント進出。トーナメント1回戦でパラグアイに負けたものの、自国開催以外のワールドカップにおいて初の決勝トーナメント進出となった。

大会後は「岡ちゃん、ごめん」という言葉が流行る。批判され続けた日本代表が成田空港に戻ってきた時、そこにはたくさんの声援が待っていた。

4年間の主な出来事

オシム時代

  • 07年 アジアカップ(東南アジア4ヶ国開催)サウジに敗れ準決勝敗退

岡田時代

  • 09年 キリンカップでチリ、ベルギー相手に共に4−0のスコアで勝利
  • 10年 南アワールドカップで決勝トーナメント進出